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【スーパーセール】 柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B 和書

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メーカー 610d1562 発売日 2025-05-14 05:54 定価 25000円
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【スーパーセール】 柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B 和書

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_画像1 柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_画像2 柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款 閉じる

「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_断層画像写真 閉じる

断層画像写真

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_女三の宮の降嫁、復元模型 閉じる

女三の宮の降嫁、復元模型

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型 閉じる

左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型

柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-104B_左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻) 閉じる

左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻)

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。菊池寛三郎編『神風遺談』(全3冊揃)安政3年須原屋伊八刊 江戸時代和本 元寇資料 絵入本 鎌倉時代日本史・中国史(元代資料)。


自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。輿車図 1928年 検索:木版画 支那 松平定信 渡辺広輝 故実書 彩色木版刷 今泉定介 江戸 図鑑 図版 初版 絵本 輦輿 神輿 輿丁 坤輿 和本唐本。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。『 福井県文書館資料叢書 1~9 まとめて9冊セット 元禄期越前の幕府領大庄屋日記/越前松平家家譜ほか 』 福井県文書館。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。信州高島藩分限帳(諏訪) 表題は御家中分限簿。現在の今上天皇と系譜がつながっている。★☆当時物/至近世自上古 歴史風俗図/歴史研究/三重県伊勢国 発行/発行年:不明。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。希少 諜報記 石光真清 石光真清手記 スパイ手記 昭和17 古書和本古本 軍事 ミリタリー 旧日本軍 戦前 太平洋戦争。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。武者小路実篤筆 「愛」 15.5x55cm 印有 錦子識 墨 書 軸。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。武井武雄「おもちゃ絵諸国めぐり 刊行案内等」昭和4年 伊勢辰版。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。▲01)【同梱不可】顔真卿争座位稿/拓本/漢籍/精華堂法帖店/大正8年/A。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。大枝流芳『煎茶仕用集』(全2冊揃)宝暦6年序 前川善兵衛刊 江戸時代和本(明治刷)青湾茶話 煎茶道論 中国茶論。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。蘭繁之他『夢二愛惜』限定200部 昭和52年 緑の笛豆本の会刊 竹久夢二 彩色木版画3枚入。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【政】29816 太政官高札(こうさつ) 舞鶴藩 立て札 奉行ふれ札 取締り 看板 骨董 古物。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。宮崎成身『六藝名義觧』文政5年序 青山堂刊『周礼』六芸解説書 中国周代教養 江戸時代和本 絵入本 六芸名義解。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。本居宣長『真暦考』天明2年後跋 柏屋兵助他刊 江戸時代和本 上代/古代日本人の暦論 国学者 暦法。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 三議一統   古文書。また、各巻ごとの書かれた年については不明。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 出雲 神田橋  書状 古文書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。「源氏物語」匂宮の巻・十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる・大炊御門宗氏・自筆・茶道具11B。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。南畫講解 描法解 画帳 画集 小室翠雲先生 サイズ約37x28cm 花草山水合集  古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。中村良之進『陸奥古碑集』昭和2年 私家版(青森県弘前市)三村竹清旧蔵書 陸奥史談会創設者/青森県郷土史家による青森県全域の碑文図譜。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管    加賀  小笠原 貞宗 開善寺殿  古文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。満州事変写真帖/昭和6年/52図版/奉天郊外での柳条湖事件を契機に始まった日中両軍の軍事衝突・日中戦争・太平洋戦争へ続く十五年戦争の端緒。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。明治大学政治経済学部 1964(昭和39)年 卒業アルバム。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 毛利  小笠原  書状  古文書  歴史的逸品。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。当方の先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  小笠原  書状  古文書  歴史的逸品。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。池田義信(浮世絵師・渓斎英泉)『好古集覧革ゼン図考』弘化2年刊 画韋・絵韋図案集 彩色木版画譜 江戸時代和本 絵革 甲冑染革 皮革文化。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。貴重 井伊直弼暗殺 桜田門外の変 その当時の記録書。


 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。幕府領(会津藩預所)佐倉村古文書●寛文10年(1670) 会津藩家老成瀬主計が加賀前田藩家老等宛書状 大沼郡佐倉村 現在の福島県昭和村 240320。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。竹久夢二木版画装『ビクター民謡曲』(2冊セット=第2,3編)昭和4年 ビクター出版社刊。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。本朝櫻陰比事 巻一 浮世草紙 井原西鶴著 元禄二年己正月吉日(國書)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【極美 入手困難 名筆】淡海女子実務学校創立者 塚本さと子歌集『月の影』(上下巻揃 和綴じ 帙入 正誤表付)東山堂 井上皐玄 筆 昭和5年。

 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。仙台藩伊達家・知行御割目録 宝暦八年 大町源十郎殿宛 登米郡他四郡 五十貫九百三拾七文  四奉行 重判連名。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。明治25年  諸流秘伝 生花独稽古 華道 生花 冊子 本 和本 古書 全4巻中1冊欠如   ②E。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。☆E0302昭和3年(1928)古地図「東京逓信局区内電信回線図/東京逓信局管内郵便線路図」4点/東京逓信局規画課調製。四年の歳月が経過。f24050706〇日用宝鑑 貴女の栞 全2冊 銅版画3枚 色彩木版画1枚 国分操子 大倉書店 明治33年〇和本古書古文書。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。俳諧/史跡/「近畿俳蹟行脚集 上・中」/田中居庸著/昭和8・9年/御津之華社発行/2冊。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。f24050704〇標記 十八史略 全7冊 沿革図銅版画10枚入 明治新刻 五車楼梓 状態及び摺良 明治18年〇和本古書古文書。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。軍事資料★「兵事法令集 壹本 全」明治38年3月 2冊 兵役・服役補充召募・召集・雜之部 編纂 久芳宇三郎。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。w074 新絵様欄間集 上下 全2冊揃 平原助次 昭和7年■和本 古文書 建築 大工 図案 彫刻 木鼻。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。修身學 : 一名人の行道 (三水碧樓集)第1.3集セット  明治6年2月発行。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。伯爵 古田正毅書翰  銕道院總裁/原敬宛 大正元年12月11日。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。f240502010〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都目黒夕日か岡 東京都目黒区目黒 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。『本経逢原』安永6年跋刊 江戸時代和本 東洋医学書 中国医学 漢方医学 漢方薬 本草学。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。c0411 和本 新刀銘書 全六巻 新刃銘書後集 全六巻 セット 検 刀 刀剣 古書。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。源眞修(字:天爵)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 二行書 掛け軸。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。葛飾北斎 万福和合神 秘蔵浮世絵集成 #309 【極美品】。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。川上澄生『横濱どんたく』限定200部 昭和22年 日本愛書会刊 彩色木版画譜 総手漉和紙本 文明開化期の横浜を描く。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津 古文書 書状。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。風流と繊細!/[建具雛型・明治9年・版権免許]/唐戸・妻戸・網代戸・二崩etc。》

「額縁入自筆原本」



(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。夢窓疎石『夢窓国師語録』(全3冊揃)貝葉書院刊 江戸時代和本複製版 鎌倉時代・臨済宗の禅僧の禅語集 禅宗。)

「自筆原本」

自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。俳諧用捨箱。

自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。(漢)揚雄撰 (宋)司馬光註 桃源蔵(桃白鹿)増註『揚子法言増註』(全十巻四冊揃)寛政8年 柏屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。日比健二郎編『死体検屍考』(明治13年 大野木市兵衛刊か)長谷川伸旧蔵書 明治時代和本 明治初期の法医学書 検死。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。『新版 密宗書籍目録 全』享保19年 藤屋弥兵衛他板 密教関係刊行書目録 江戸時代和本 仏教書 仏書。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。師岡廉治『東湖先生正気歌』昭和9年 平野書店刊 伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書(印記「果育舎」)藤田東湖の漢詩「正気歌」註解書。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。h∞ 明治期 睡蓮 相馬昌治 相馬御風・著 明治38年 東京純文社 /C06。》

《物を思ひつるに、》・・・・け(氣)の乃ほ(上)りぬるにや、
いと、さいふはかり臆すへき心弱さとはおほえぬを。和解図式 算法天元指南 全9巻全5冊揃 YAH163。
いふかひなくもありけるかな」と、身つから、思ひ知らる。阪本理(阪本東岳)著 関沢清修編『東嶽詩鈔』(全2冊揃)大正12年刊 秋田県の漢詩人 阪本東岳漢詩集。
しはしの醉ひの惑ひにもあらさりけり。『官幣大社 鹿島神宮宝物図鑑』明治14年 鹿島神宮刊 茨城県鹿嶋市の神社「鹿島神宮」所蔵名宝集 太刀 懸鏡 古鏡 狛犬など 神道資料。やかて、いといたくわつらひ給ふ。大内青巒『熱海独案内 全』明治18年 遊仙洞上梓 熱海温泉案内書 明治時代和本 折込地図「豆州熱海全図」。
おとゝ、はゝ北の方、おほしさわきて、「よそよそにて、いと、おほつかなし」とて、
殿にわたしたてまつり給ふを、女宮のおほしたるさま、また、いと心くるし。☆E0101和本明治摺り国学「標註職原抄校本」6冊揃/近藤芳樹/古書古文書/木版摺り。
ことなくて過くす月日ころは、こゝろ(心)のとかにあいなたの(頼)みして、
いとしもあらぬ御心さしなれと、「『今は』と、わか(別)れたてまつるへき
かとて(門出)にや」と思ふは、哀(あはれ)にかなしく、・・・・《をくれておほし》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。竹田宮恒久王妃昌子内親王 歌集『松乃しらべ』(全2冊揃)昭和18年竹田宮蔵版 彩色木版画6枚入 明治天皇第六皇女子。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。孟子 天保発行。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》

《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》

《柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)とに重ねて合わせて悩む》
《二条院で女三の宮主催の父・朱雀院(前朱雀天皇)の御賀を祝う演奏の試楽》

《柏木、体調を崩し正室の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)が心配される》

《衛門督(柏木)はひどく気分がわるく、こらえられなくなって、まだ宴も終らぬうちに
退出してしまわれたが、そのままひどく酒酔いをている。西澤笛畝『諸国絵馬集』(全2冊揃)大正7年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 小絵馬集 郷土玩具 民間信仰 西沢笛畝。
(柏木)「いつもほど深酔いをしたわけでもないのに、どうしてこんな気分なのか。【新発見!関西大学初期資料】関西法律学校の京町校舎宛 和歌山ボタ+和歌山/19.12.18/イ。
何か気が咎めていたために、のぼせてしまったのだろうか。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書 上。》・・・・・・そんなにまで
怖気(おじけ)づくほど気弱になっていたとも思われぬのに、なんともふがいないことではあった」
と、我ながら意気地なく思わずにはいられない。『絵入 子供遊親手助孝行すゝめ』天保10年 堺屋仁兵衛刊 江戸時代和本 孝子伝や教訓歌などを集めた絵入り教訓的往来物 子供遊親手助孝行雀。
一時(いつとき)の悪酔いではないのであった。渓斎英泉画『武勇魁図会 初編』明治時代和本 木版画譜 浮世絵 武者絵。
そのまま、重くおわずらいになる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。
大臣(柏木の父)や母北の方が心配なさって、他所(よそ)に置いておくのでは
気がかりでならぬというので、お邸にお引き取り申されるのを、
北の方(正室)の女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)がつらくお思いになるご様子もまた、
まことにおいたわしい。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利  書状 古文書 歴史的逸品。
 これまで何事もなく暮していけたような間は、気長にかまえて、そのうちにはと
あてにもならぬ行く末を頼みとして、特に深い情けをおかけになることもなかったのだが、
さてこれを限りとお別れ申さねばならぬ門出になるのではなかろうかと思うと、
身にしみて悲しく、・・・・《この女宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)があとに残されて
どのようにお嘆きになろうかと、そのことがもったいなくて、ひどく申し訳ない気持である。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 天文九月吉日 古文書。》

備考1・柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)と重ねて合わせて、恋ゆえに避難することができないと悟る。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘 古文書。

備考2・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。【人形代】中眞二景肺神 肺病治御秘符[ijGG]手書き。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。∧古本 希少 レア|支那事変放送講説集 第一弾| 天津軍宣傳部|当時物 香月軍司令官挨拶■O4757。

備考3:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。完品 喜多川歌麿『歌麿版画集芳』昭和49年 高見澤研究所刊(手摺浮世絵木版画全24枚揃)美人画集 錦絵 遊郭 花魁 遊女。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。3-#南部中尉名誉記念書書帖 木村仁太郎 1910年 明治43年 5月 8日 和本 和つづり 破れ・シミよごれ有 陸軍 伯爵 大日本帝國 日露戦争 勲績。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。古い白帖 無地の短冊帖 110葉収納 全長約520センチ 古写経 お経 古筆手鑑作成 画帖 簾 和本。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【処分価格】★『妻鏡』 寛永十八年初版本 道鏡一円 無住一円 ★検)仏教 仏書 禅宗 和本 古文書 吾妻鏡 迷悟抄 沙石集 空海 親鸞 法然。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。古文書 書簡 横山静子 鈴木吉祐宛て 封筒付き 横山大観夫人 歴史資料 日本画(レターパックライト発送)。


《New Herbs Part Two(若菜・下)》

Had his frayed nerves caused his blood to rise? But he was not such a weakling.
It had all been a lamentable and most unbecoming performance in any case.
The aftereffects were not of a sort to disappear in a day.
He was seriously ill. His parents, in great alarm, insisted that he come home.
The Second Princess was very reluctant to let him go.
Through the dull days she had told herself that their relations must surely improve,
and though it could not have been said that they were a devoted couple
she could not bear to say goodbye.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。f240502001〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都一石ばし 東京都中央区八重洲 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。


《若菜・下》

回家之后,身体一直不好,想道:“我今天并不曾像往常那喝得大醉,
何以如此痛苦?大概是由于良心苛,所以弄得昏眼花?
我自己得向来并不如此怯弱。中外新聞 合本 巻四(21号~27号) 慶應四年★Wa.09。真是太不中用了!”
他自己可怜自己。☆E0151和本江戸天明2年(1782)秋田騒動(佐竹騒動)写本「兜頭巾」1冊/古書古文書/手書き。但不是一的酒醉,柏木从此生起大病来了。木版画で作られた小物入 明治 懐入 薬入 小物入 生薬入 細工物 小野道風 (骨董品 浮世絵。
父前太政大臣和母夫人都很着急。古版 藻塩草。他住在落叶公主那,
父母很不放心,要他回大臣邸内来病。片山直人著 中島仰山画『日本竹譜』(全3冊揃)明治19年 片山直人刊/丸家善七他発兌 初版(洋紙本)明治時代和本 植物学書 本草学 竹類図譜。但是落叶公主舍不得他,
子又很可怜。【稀少!江戸期和本 流麗・繊細 絵入】三帖和賛繪抄 五 ※浄土真宗 検親鸞高祖仏教武将武者木版画浮世絵絵本錦絵骨董書籍龍天皇鎌倉歌舞伎。在以前太平无事之,柏木于夫妻之情漠不心,
以将来会好,所以并不十分。上野公園西郷銅像附近之図。但是此次要他走,
他忽然担心起来:一不成永?心中常悲。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  弓法秘  古文書。


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・下の巻」原本の末尾(原本番号107-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。彩画職人部類・上下・2冊/橘岷江/彩色木版・大正5年・非売品・和装本/鈴木春信風の美人画をかき彩画職人部類に吹きぼかしで彩色を工夫。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 書状 古文書。冬姫は内大臣・通誠の養女。源氏物語評釈 全12巻別巻2 14冊揃 玉上琢彌 セット。
冬姫は通称。『黒谷上人伝絵詞 黒谷語燈録』(全十冊揃)華頂山蔵板 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗 法然上人 滋賀県栗東市郷土史料。正式な名は伊達貞子。下御霊社御祭礼之図。2つとも貞子の印。天野節次郎編『大連旅順金州名勝風景写真帖』大正2年 天野満書堂刊(大連市)大正時代の中国大陸写真集。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。東条義門『玉緒繰分』(全5冊揃)嘉永4年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 本居春庭・藤井高尚・太田全斎らに師事した国学者 日本語文法書。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。絵図 (城郭図) 福岡県 筑後國 久留米城 歴史資料 帳仕立て(レターパックライト発送)。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 馬書覚書 古文書。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。(宋)鮑彪 (元)呉師道重 (明)張文カン校輯『戦国策』(全10巻15冊揃)菱屋孫兵衛刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国古典籍。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原  古文書  書状。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。『官社一覧表 完』明治6年 足立氏蔵版 「官社一覧追加」共(明治8年)明治時代和本 神社 神道資料 官幣社 国幣社 太政官。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。佐渡丸遭難記念誌/貝瀬謹吾/非売品/昭和4年/明治37年野戰鐵道の一員として出征の玄海灘で敵艦の襲撃に会い萬死に一生を得て大連に上陸。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。渡辺遂編『袖珍英和独案内』明治18年 辻本尚書堂刊 英和辞典 英語教材 明治時代和本 銅版画絵入本 英単語・英会話・世界各国の国旗など。筆者は近衛関白政家公。【真作】和本「梵字滝竒験之利劒」為永春水 弄月亭有人 歌川芳虎 初編 二編 三編 計三冊 明治5年出版 浮世絵 錦絵 木版 木版画 版画 z4451o。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。河原英吉編『唐宋二十一家像伝』(全二冊揃)明治13年 沈香書閣蔵版/永尾銀次郎刊 明治時代和本 中国唐代・宋代の名士略伝。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。古文書 書簡 鵜殿清虚 水戸藩 家老 名筆家 水戸の二妙 江戸時代 名筆家 書道 手本 珍品 歴史資料 (レターパックライト発送)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。歌川広重『広重狂句画集』戦前刊 彩色木版画全30枚+目次揃 浮世絵。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。長野県官民肖像録 明治41年発行。上下2段の花押のうち、上の印は。【扇屋】中央美院画稿書画/欽定三希堂法帖 馬 山水 書など 3冊セット 寸法 約27cm×約18.5cm 唐本 中国 古書。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―104B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。江島其磧『傾城禁短気 色道大全』(3冊)宝永8年八文字屋自笑(八文字屋本) 江戸時代和本 浮世草子 遊郭もの/吉原もの 花魁 遊女。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)

朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。催眠術に於ける暗示法 中堂謙吉 開発者 明治37年  戦前 明治大正 古書和書古本 超能力 Z。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君



上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。[絵本] 大岡政談之内 越後傳吉譚 上巻・下巻 2冊 大西庄之助編★ko2.33。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。弘道館記述義  古本。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。吉井勇著 竹久夢二装画『東京紅燈集』大正5年 新潮社刊(再版)。

漢詩文原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。艶本・艶情二葉の由来、全【艶絵二十図絵入り】吾妻雄鬼子・江戸期。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。金剛界念誦次第 真言宗 正徳4年 仏教 江戸時代 検)仏陀空海古書和書古文書古本浄土宗天台宗密教護摩江戸期  ND。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。アリゾナの天狗 小西茂木 昭和24年 長編冒険小説 戦前  明治大正 古書和書古本 N。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。(中国・隋)釈智顗撰『法界次第初門』(全3巻揃/合本1冊)江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書 漢籍唐本和刻本。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。大黒天の研究。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見御供奉御名前帳と雪隠紙 藩主井伊直弼の巡見④ 下野国安蘇郡出流原村 現在の佐野市 230909。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。好花堂野亭(山田意斎)著 柳斎重春/宮田南北画『大伴金道忠孝図会』(2冊)岡田茂兵衛刊 江戸時代和本 読本 浮世絵師挿絵多数入 絵入本。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。出世双六。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。大森宗龍『置土産浮世之茶話』(全2冊揃)明治26/41年 東陽堂刊 各冊元袋付 明治時代和本(和装活字本)茶道 茶の湯。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。明治時代の小説。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。八文舎自笑他『役者智恵競 上巻』嘉永5年刊 江戸時代和本 役者評判記 歌舞伎役者。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。橘田春湖『春湖発句集』+『橘田春湖追悼集』明治25年跋刊 幕末の江戸三大家と称された俳人 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。『古文書』権大僧都法印(芳川経雅)・高野山時代巻物3巻・和歌山藩時代上下巻物【幕末 巻物 古文書 古書 和書】約上巻6m下巻8m高野山巻9m。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。真宗礼讃偈 明治25年 仏教 浄土真宗 親鸞 戦前明治大正古書和書古本  NA。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。千代の地かため 初編 平安 華鳳編輯 寛政元年 書林 伊勢屋庄助★ko2.45。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。長沼澹斎(長沼広敬)著『校刻兵要録』(全22巻2冊揃)安政2年 内野屋弥平治他刊 江戸時代和本 長沼流兵法 兵法書 軍学書 尾州真菅組旧蔵書。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【洛座】古道大意 上巻下巻 平田篤胤 文政七年 < 和本 ◆13-15。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。村の少年団 佐々木邦著 昭和8年発行 初版本 古書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。満州事変・上海事変・新満州国写真大観/昭和7年/上海方面戦況の写真は当時の況を正しく物語る好個の資料として推奨に値するものである。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。長谷川伸旧蔵書 大倉桃郎『平和の日まで』大正4年 佐藤出版部刊(初版本)大正時代文学書 大正文学。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。清水六兵衛編『清水六和回顧作品集』昭和30年 芸艸堂刊 5代目清水六兵衛陶芸作品集 木版画装。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。葛飾北樹『花鳥山水北樹画譜 全』天保年間頃 丁子屋平兵衛版 葛飾北斎に学んだ浮世絵師の彩色木版画譜 江戸時代和本。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。佐藤春夫著 生田長江序 岸田劉生木版画装『詩文集 我が一九二二年』大正15年 新潮社刊 初版本。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。栗原信充『刀剣図考』(全2冊揃=初集+2集)天保14年 英屋文蔵刊 江戸時代和本 日本刀 太刀 刀剣。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。S1035【仏具】祝詞 のりと まとめ売り 古文書 古書 和書 神主 神社 仏教 寺院 和尚。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。松浦羽洲編『すきかへし 三編』羽洲園蔵版 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌 連句 鋤かへし集 すきかえし 鋤かえし集 尾張名古屋の俳人。撮影後、展示のために再表装をしております。ビンテージ 当時物 菜根譚 ニ松堂書店 昭和二年発行 黄楊道人 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。☆E0361和本江戸文久元年(1861)政治外交論写本「毛利候之臣上書」1冊/長井雅楽/航海遠略策か?/長州藩士/古書古文書/手書き。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。松原寛著 船川未乾装丁『現代人の芸術』大正10年 民衆文化協会出版部刊 日本大学芸術学部初代芸術科長 日藝。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。【模写】書簡 徳川斉昭 水野越前守 宛 水野忠邦。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。【書誌書目シリーズ37 近代読書論名著選集】全14巻 セット ゆまに書房 出口一雄 近代「読書論」名著選集 第二期全7巻は函付//。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。写本 和本『太閤真顕紀』初編~12編/各10冊/計120冊 江戸後期/筆 肉筆 豊臣秀吉伝記 (古文書。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。尊圓親王芳跡。額縁は新品です。絵図 水戸弘道館図 弘道館 (レターパックライト発送)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。古文書 江尻興 「鹿鳴吟社集」 茨城 笠間藩 浅野弘 帳仕立て 歴史資料 (レターパックライト発送)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。f21030501〇江戸古地図 増補江戸大絵図 天和2年(1682年) 木版手彩色 林氏吉永 軸装1750x1400mm 虫損 汚れ有り〇和本古書古文書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。白梅園鷺水(青木鷺水)編『俳諧新式』元禄11年 中西卯兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。百人一首★天保六年乙未秋再版★東壁堂★永楽屋東四郎板(498)。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。伏敵篇・靖方溯源・竹崎季長蒙古襲来絵詞/明治25年/重野安繹・山田安栄・蒙古襲来関係史料集・近代の蒙古襲来研究に画期的な意義を持った。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 矢論 古文書。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。真作「日本山海名物図会」全5冊揃 二巻欠け 4冊 宝暦4年 捕鯨図 和本 古書 古文書  y2445。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  犬甘  清水  古文書。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。歴史資料/加賀藩史料/「菅秘録」/前田家由来併武芸之女召抱之事他23項目/寛政12年筆写/9巻2冊。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【真作】 和本 「傾城水滸伝」 曲亭馬琴 歌川国安 四編~十三編 端本 計37冊 浮世絵 版画 絵草紙 和書 古書  y1891。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 長時 古文書。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。美濃国全図 改正 (内題美濃国郡県人跡路程図説) A 岡田啓。母は後水尾天皇皇女女二宮。扶桑名所図会 初・二篇 狂歌。実母は近衛家女房(瑤林院)。萬葉集拾穂抄 十冊(一~三、五~十、十四)北村季吟撰。幼名は多治丸。【地租改正】『落地発見願書』明治十九年八月 中頸城郡 上広田村/新潟県知事 篠崎五郎 検地帳 古文書 村方文書 和本【24-0412-29】。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。完品 大木篤夫著 恩地孝四郎装幀『危険信号』昭和5年アルス刊 函付初版本 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  豊前 中津  古文書。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。h∞∞ 和名類聚鈔 全20巻5冊揃い 発行年不明 古文書 古書 /C05。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。近思録示蒙句解10冊中1冊欠 元禄14年序中川弥兵衛刊 江戸時代和本 朱熹・呂祖謙編纂「近思録」註解書 中国唐代思想 朱子学  儒学 NB。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。Q4-W5/27 特選神名牒 思文閣 内務省蔵版。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。写本 傷寒薬品体用 川越正淑 江戸時代 漢方学 薬学薬理学 東洋医学  江戸期古書和書古本 NM。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。『句双紙』(上下巻揃・合本全1冊)友松堂板 江戸時代和本 句雙紙。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。大槻誠之 (大槻東陽) 『古今萬国綱鑑録』(全3冊揃)明治7年青山堂 中国で活躍したドイツ人宣教師カール・ギュツラフ原著 明治時代和本。


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