《Wild Carnations (常夏)》 Her father loved the way she had of making it seem that a great deal was being left unsaid. "Kashiwagi is young and naive, and he halted his investigations before he had come upon the obvious." He was not being very kind to his new daughter. He thought he would look in on her, since her room was not far away. He found her, blinds raised high, at a contest of backgammon. Her hands at her forehead in earnest supplication, she was rattling off her prayer at a most wondrous speed. "Give her a deuce, give her a deuce." Over and over again. "Give her a deuce, give her a deuce." This really was rather dreadful. Motioning his attendants to silence, he slipped behind a hinged door from which the view was unobstructed through sliding doors beyond. "Revenge, revenge," shrieked Gosechi, the clever young woman who was her opponent. Gosechi was not to be outdone in earnestness or shrillness.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「常夏(とこなつ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。★限定600部 帙付き 大型本 『 吉田松陰遺墨帖 ●解説付き 』 山口県教育解/編纂 大和書房。
原文は「源氏物語・常夏の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。菊池容斎画譜 松本楓湖縮図 錦栄堂 2冊 明治24年 大原孫兵衛。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。旗本領川島村(土睦村)古文書●明治20年 仏国人波阿蘇印度意見書 32丁 ゼ、ボアソナード著 千葉県長柄郡川島村 現在の睦沢町 231010。現在の今上天皇と系譜がつながっている。和本「戯場訓蒙図彙」全八巻 合本 合一冊 式亭三馬 勝川春英 歌川豊国 享和三年 歌舞伎和書 古書 y2448。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。宮崎成身『六藝名義觧』文政5年序 青山堂刊『周礼』六芸解説書 中国周代教養 江戸時代和本 絵入本 六芸名義解。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』(全20巻20冊揃)明治16年 宮城県蔵版 明治時代和本 江戸時代前期の仙台藩地誌。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。長谷川伸旧蔵書 高津泰(高津川)『終北録 一名戌唐太日記』安政4年 高橋氏友于亭蔵板 漢文集 樺太紀行集 江戸時代和本 戍唐太日記。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。竹田宮恒久王妃昌子内親王 歌集『松乃しらべ』(全2冊揃)昭和18年竹田宮蔵版 彩色木版画6枚入 明治天皇第六皇女子。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。[W2556] 希少! 送料無料「團團珍聞 全48巻揃」/ ケース付 監修:北根豊 1981~85年発行 本邦書籍 団団珍聞 復刻 風刺雑誌 マルチン 現状品。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。源眞修(字:天爵)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 二行書 掛け軸。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。明治時代の小説。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 上。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。栗原信充『刀剣図考』(全2冊揃=初集+2集)天保14年 英屋文蔵刊 江戸時代和本 日本刀 太刀 刀剣。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。★H503和本江戸嘉永4年(1851)写本「越俎録」全1冊/清水存軒/古書古文書/手書き/尊皇攘夷/黒船来航。また、各巻ごとの書かれた年については不明。R-074865 斉白石 印譜(中国、唐本、古書、古本、書道具、和本)(R-074865)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。坪内逍遥『熱海ペーヂェント』大正14年 博文館刊 初版本 坪内逍遥直筆献呈署名入(「呈 駒田君 著者」)三重県・駒田家旧蔵書。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。古刀銘盡大全 全九巻 仰木弘邦 寛政四年正月刋。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。近江源氏先陣館 近松半二 歌舞伎浄瑠璃 佐々木盛綱 江戸時代 検)盛綱陣屋 古書和書古本和本古文書写本 NT。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。十返舎一九肉筆紙片 【吉原】。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。『黒谷上人伝絵詞 黒谷語燈録』(全十冊揃)華頂山蔵板 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗 法然上人 滋賀県栗東市郷土史料。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。『芥子園令毛花果譜』(全3冊揃)大正8年風俗絵巻図画刊行会(藝苑叢書) 彩色木版画譜 花鳥画 中国美術 中国絵画 中国古画 青在堂令毛花果。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。☆E0274明治18年(1885)官員録役人名鑑「文部省職員録」1冊/古書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 弓法秘 古文書。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。『句双紙』(上下巻揃・合本全1冊)友松堂板 江戸時代和本 句雙紙。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 繁藤之弓作左法 古文書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。古文書 戌年御年貢米割付之事 蒲原郡 西萱場村(新潟西蒲月潟村内) 天保九年 脇田 内藤 久永惣右衛門 村.庄屋 組頭 惣百姓.193㎝。
出品した「源氏物語」は常夏(とこなつ)の内容の要旨
「常夏の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘政準 具足鏡 古文書。第26帖。Q4-W5/27 特選神名牒 思文閣 内務省蔵版。光源氏36歳の5月の話玉鬘十帖の第26帖。『新板増補 身延鑑』(全3冊揃)宝暦12年 身延山蔵版 江戸時代和本 日蓮宗重要資料 仏教書 仏書。巻名は光源氏と玉鬘が常夏の花(撫子)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」にちなむ。稀少★日蓮聖人奉賛会発行 日蓮聖人全影 定価25万円 限定1000部 (管理90319674)。源氏の君36歳の夏の話。柏木亀太郎著 石川鴻斎序『衛生嘉言 完』明治21年刊 明治時代和本(和装活字本)衛生学書 東洋医学 東洋思想 医学書 医書 衛生・養心・養老。盛夏の六条院で、釣殿で涼んでいた源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。(宋)鮑彪 (元)呉師道重 (明)張文カン校輯『戦国策』(全10巻15冊揃)菱屋孫兵衛刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国古典籍。夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。八文舎自笑他『役者智恵競 上巻』嘉永5年刊 江戸時代和本 役者評判記 歌舞伎役者。内大臣と夕顔の君の姫君である玉鬘の姫君は、いつになったら実父・内大臣に会えるのか思い内大臣と源氏の君の間の板ばさみの玉鬘であった。吉井勇著 竹久夢二装画『東京紅燈集』大正5年 新潮社刊(再版)。一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。遠藤通(遠藤鶴洲)『救荒便覧前集』天保7年序 白鶴義斎蔵板 江戸時代和本 藤浪剛一および北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。雲居の雁のところへ出向いたが、夏の暑い盛りに単を羽織ってうたた寝していた姿に「はしたない」と説教する。宗雪聞書 全 和書 文政 利休 茶道 古書 古文書 歴史書 秘伝。またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古絵図 古文書。そこで長女・弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。真作「日本山海名物図会」全5冊揃 二巻欠け 4冊 宝暦4年 捕鯨図 和本 古書 古文書 y2445。
「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見御供奉御名前帳と雪隠紙 藩主井伊直弼の巡見④ 下野国安蘇郡出流原村 現在の佐野市 230909。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。長谷川伸旧蔵書『兵庫史談』(全74冊揃 合本一冊)大正15-昭和7年 神戸史談会刊。この言葉は、「常夏」の巻の原文で「窓の内なるほどに従ひてゆかしく思うべかめるわざなれば」とある。真宗礼讃偈 明治25年 仏教 浄土真宗 親鸞 戦前明治大正古書和書古本 NA。一般にごく普通の男でさへ深窓の両家の娘には心をひかれるが身分の高い六条院の内にいる玉鬘の姫のことを世間では美しいと評判ですよと源氏の君が玉鬘の姫君に伝える場面である。松平庄右衛門升信書簡 森川内藏進・依田又八郎宛。玉鬘の姫君の美しさを中国の絶世の美女と称される楊貴妃をたとえた漢詩であることが「深窓」の文字からもくみとることができる。【希少/除籍本】日本医籍録 大正14年発行 土屋義衛/本田六介 医師/医者/名簿/リスト/日本/朝鮮/台湾/満州【ta02g】。紫式部が「常夏」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 天文九月吉日 古文書。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。『江戸風俗浮世絵大鑑 第二集』(手摺浮世絵木版画全11枚揃)大正6年 風俗絵巻図画刊行会刊 葛飾北斎 奥村政信 鳥居清満 懐月堂安慶ら。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
「常夏」の巻は英文で「Wild Carnations」と表記されます。蘇生堂主人『喚子鳥 巻之下』宝永7年 塩屋喜助他刊 江戸時代和本 絵入本 博物学 鳥類図譜 鳥類事典 鳥類学。
《自筆上部の「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。歴史資料/加賀藩史料/「菅秘録」/前田家由来併武芸之女召抱之事他23項目/寛政12年筆写/9巻2冊。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。上州草津温泉之図。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。支那墨蹟大成 第五〜第12巻。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。大森宗龍『置土産浮世之茶話』(全2冊揃)明治26/41年 東陽堂刊 各冊元袋付 明治時代和本(和装活字本)茶道 茶の湯。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。天狗党 下諏訪戦争 戦況報告書簡 元治元年 1通 絵図共 計2点。)
「自筆原本」
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。江戸時代中期 古書 和書 新刀銘盡(あらみめいずくし)諸国新刃 目利乃書 4冊揃 巻一 巻四 巻五 巻六 神田白龍子 著 TYF506。
自筆上部の「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。完品 喜多川歌麿『歌麿版画集芳』昭和49年 高見澤研究所刊(手摺浮世絵木版画全24枚揃)美人画集 錦絵 遊郭 花魁 遊女。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。近思録示蒙句解10冊中1冊欠 元禄14年序中川弥兵衛刊 江戸時代和本 朱熹・呂祖謙編纂「近思録」註解書 中国唐代思想 朱子学 儒学 NB。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。木版画で作られた小物入 明治 懐入 薬入 小物入 生薬入 細工物 小野道風 (骨董品 浮世絵。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。◆古書・古文書・和書◆『春秋命歴序攷 全2巻』天保4年◆。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【希少】「征露従軍日誌」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。松浦羽洲編『すきかへし 三編』羽洲園蔵版 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌 連句 鋤かへし集 すきかえし 鋤かえし集 尾張名古屋の俳人。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。花の廓古郷の志るべ [新吉原芸妓細見](題簽・奥付欠)★Wa.70。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【扇屋】中央美院画稿書画/欽定三希堂法帖 馬 山水 書など 3冊セット 寸法 約27cm×約18.5cm 唐本 中国 古書。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。h∞∞ 和名類聚鈔 全20巻5冊揃い 発行年不明 古文書 古書 /C05。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。西澤笛畝『諸国絵馬集』(全2冊揃)大正7年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 小絵馬集 郷土玩具 民間信仰 西沢笛畝。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。本沢竹雲著 大沼枕山序詩『虚堂遺稿』(全2冊揃)大正9年 格知学社刊(山形県東村山郡)漢詩集 天童市郷土史料 儒学者 浄土真宗僧侶。》
《むめ(梅)の花の》・・・・ひら(開)けさしたるあさ(朝)ほらけ
おほ(覚)えて、のこ(残)りおほ(多)かりけにほゝゑみ給へるそ、
人にこと(異)なりける、とみ(見)たてまつ(奉)りたま(給)ふ。軍事資料★「日本選兵史」昭和18年11月 陸軍軍医 飯島茂 徴兵制 現行選兵諸法規 開発社。
「中将のいとさい(言)へと、心わか(若)きたとりすく(少)なさに」
なと申給ふも、いとおしけなる人の御おほえかな。油井牧山(牧山油井元雄)著 大槻磐渓跋『海嶽詩嚢』弘化2年序 裳華房梓(仙台)仙台藩の漢詩人の漢詩集 江戸時代和本 宮城県仙台市資料。
やかて此御かた(方)のたよりに、たゝすみおはして
のそきたま(給)へは、すたれ(簾)たか(高)くおしは(張)りて、
五せち(節)のきみ(君)とて、されたるわか(若)人のあると、
すくろく(雙六)をそう(打)ち給ふ。山川正宣『山陵考略』大正9年 池田史談会刊 大正時代和本(和装活字本)山川正宣関連ポストカード5枚付 天皇陵論 皇室関連文献。て(手)をいとせち(切)に
おしもみて、「せうさい、せうさい」とこふこゑ(声)そ、
いとした(舌)と(疾)きや。松本棄次郎・多賀谷翠鸞編 松本宏洞著『宏洞百詩』昭和5年 松本一雄刊 漢詩集 群馬県佐波郡大正寺村生の南画家(現・伊勢崎市)郷土史料。「あなうたて」とおほ(思)して、
御とも(供)の人のさき(先)お(追)ふをも、
て(手)かき・・・・《せいしたまうて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。催眠術に於ける暗示法 中堂謙吉 開発者 明治37年 戦前 明治大正 古書和書古本 超能力 Z。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《六条院の釣殿の宴・源氏の君、高欄によりかかる》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后への夢を語る》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后として立后》
《深窓の姫君(内大臣の娘・雲居の雁の姫君)を将来の后にと願う内大臣の心情》
《近江の君に行儀作法を身につけさせるため弘徽殿女御に仕えさせようとする内大臣》
《この女御(弘徽殿女御)のご容姿はきめこまかな美しさというのではなく、
まことに気品高くすっきりしているものの、情をたたえた
やさしさがあって、美しい梅の花の》・・・・・咲きかかった明け方の
風情(ふぜい)を思わせ、まだお言い残しのことがたくさんあるような
様子で笑みをうかべていらっしゃる。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 要鑑 六武、十二城、十三備、十四手、二十二安、十九地 古文書。
(弘徽殿女御)「それがほかの人とはまた格別なものよ」
と内大臣はお思い申される。梅原三千『川村竹坡先生伝』大正14年刊(三重県津市)伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書(印記「天倪書堂」)津阪東陽・猪飼敬所に師事。
(内大臣)「中将(夕霧)が、じっさいなんといっても、
まだ考えが浅くて、よく調べもせずに……」
などと申されるにつけても、お気のどくな姫君のご評判ではある。いてう本 偐紫田舎源氏 全4冊 柳亭種彦 三教書院 国貞木版口絵。
内大臣(雲居の雁の姫君の父君)が、この女御の御方(弘徽殿女御)に
お越しのついでに、そのまま姫君(雲居の雁の姫君)のお部屋に
お立ち寄りになって中をのぞいてごらんになると、
簾(すだれ)を中からぐんと大きく張り出して、五節(ごせち)の君といって
しゃれた若女房がいるのだが、それを相手に双六(すごろく)を
打っておいでになる。本居宣長『古今集遠鏡』(全6冊揃)幕末期・永楽屋東四郎刊 江戸時代和本 「古今和歌集」全和歌註釈書。しきりにもみ手をして、
「小賽(しょうさい)、小賽」と祈り願う声が、まことに早口なのだ。御親閲拝受記・現役将校学校配属令施行拾五周年記念/朝鮮教育会/昭和15年/御親閲拝受顛末謹記・御親閲拝受状況報告・御親閲拝受行動日誌。
なんと情けないと内大臣はお思いになり、お供の者が先払いの声を
出すのも手を振って・・・・・《お止めになり、なおそのまま
妻戸(つまど)の細目にあいている隙間(すきま)から、ちょうど
襖(ふすま)が開いている向こうの部屋をのぞいてごらんになる。S1035【仏具】祝詞 のりと まとめ売り 古文書 古書 和書 神主 神社 仏教 寺院 和尚。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。宮地直一序 大場磐雄編『官幣大社 香取神宮宝物図鑑』昭和15年香取神宮刊(千葉県香取市)仏像・古鏡他45点 神仏習合 仏教美術 神道美術。
《Wild Carnations (常夏)》
Her father loved the way she had of making it seem
that a great deal was being left unsaid.
"Kashiwagi is young and naive, and he halted
his investigations before he had come upon the obvious."
He was not being very kind to his new daughter.
He thought he would look in on her,
since her room was not far away.
He found her, blinds raised high,
at a contest of backgammon.
Her hands at her forehead in earnest supplication,
she was rattling off her prayer at a most wondrous speed.
"Give her a deuce, give her a deuce."
Over and over again.
"Give her a deuce, give her a deuce."
This really was rather dreadful.
Motioning his attendants to silence,
he slipped behind a hinged door from
which the view was unobstructed through sliding doors beyond.
"Revenge, revenge," shrieked Gosechi,
the clever young woman who was her opponent.
Gosechi was not to be outdone in earnestness or shrillness.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《常夏》
得女儿竟与不同。古書 非売品 本多忠籌侯傳 黒田源六 著 本多忠籌侯遺徳顕彰会 昭和17年 歴史 日本史。便道:
“而言之,是中将年,思不周之故。☆3402昭和2年(1927)長者番付「帝国金満家一覧鑑/多額納税者一覧鑑/戦後世界各国人民一日所得一覧表」3点/松本幸吉(松本幸盛堂)。”
如此,在委屈了个近江君。内藤万春註『標註 古今和歌集』(全2冊揃)明治17年内藤伝右衛門刊 明治時代和本。
内大臣弘徽殿女御之后,乘便到北去探望近江君。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘 古文書。
走到口,向内一望,但子高卷,
近江君正在和一个伶俐的青年侍女五君打双六。【地租改正】『落地発見願書』明治十九年八月 中頸城郡 上広田村/新潟県知事 篠崎五郎 検地帳 古文書 村方文書 和本【24-0412-29】。
焦灼地揉着手,快嘴快舌地叫喊:“小点子,小点子!”
内大臣此模,想道:“呀,不成子!”
便手制止了先的随从人等,
独自悄悄地走到旁,向里探。天野節次郎編『大連旅順金州名勝風景写真帖』大正2年 天野満書堂刊(大連市)大正時代の中国大陸写真集。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」常夏の巻の末尾(原本番号24-A)の押印。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 古文書。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。戦前の印譜集 折本 両面 絹装 昭和五年~八年 (古文書 和本 梵字。冬姫は内大臣・通誠の養女。【手紙×2点、領収書】人間国宝の釜師 長野垤志/浄土真宗本願寺派 徳山啓基 円光寺 中川祐次【24-0412-55】。
冬姫は通称。習文録 上・下 二冊 皆川 淇園撰。正式な名は伊達貞子。(中国・隋)釈智顗撰『法界次第初門』(全3巻揃/合本1冊)江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書 漢籍唐本和刻本。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。久保田米僊・久保田米斎・久保田金僊画『日清戦闘画報』(3冊)明治27-28年大倉書店 日清戦争の戦闘風景を描いた彩色木版画譜 明治時代和本。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。韮山県 関係史料(古文書) 明治三年(1870)/廃藩置県 武州多摩郡 江川英武 御嶽村 青梅 飢饉 凶作【23-1214-1】。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。明治23年 官報号外 古書。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。☆E0151和本江戸天明2年(1782)秋田騒動(佐竹騒動)写本「兜頭巾」1冊/古書古文書/手書き。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(常夏の巻)MRI 26―16B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「常夏の巻」の資料
下記写真は、源氏の君とその子息・夕霧を訪ねた内大臣の子息たちが源氏の君と話しをかわす場面を描いております中央が源氏の君、その左が夕霧。農家益 天・地[人欠]大蔵永常著 享和2年。そのほかが内大臣の子息たち。英和對譯『日本昔噺』嵩山堂出版 著/ミツトフオルド 訳/上田貞次郎 青木嵩山堂 明治32年。
上記絵巻は、源氏の君と話しをかわす内大臣の子息たち。★H460和本江戸期能楽大鼓方楽譜写本「葛流大鼓年数附」1冊/山本保成門人鈴木照層/葛野九郎兵衛尉定之/音楽/古書古文書/手書き。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。葛飾北樹『花鳥山水北樹画譜 全』天保年間頃 丁子屋平兵衛版 葛飾北斎に学んだ浮世絵師の彩色木版画譜 江戸時代和本。
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。☆E0253和本江戸享保3年(1718)仏教音韻学「新増韻鏡易解大全/新増韻鏡字子大全」5冊揃い/盛典/古書古文書/木版摺り/梵字。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。彩画職人部類・上下・2冊/橘岷江/彩色木版・大正5年・非売品・和装本/鈴木春信風の美人画をかき彩画職人部類に吹きぼかしで彩色を工夫。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。松原寛著 船川未乾装丁『現代人の芸術』大正10年 民衆文化協会出版部刊 日本大学芸術学部初代芸術科長 日藝。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【旧家蔵出】永谷山 円通寺 幕末〜明治期? 「南無阿弥陀佛」 書 肉筆 印あり 兵庫県 丹波国 古美術 御油村 資料 珍品。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。松浦厚『鸞洲羊年春季詩集』限定150部 昭和6年 東京築地活版製造所 漢詩集 平戸藩伝来の古活字(木活字)使用 肥前平戸藩主松浦詮の長男。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。蘭繁之他『夢二愛惜』限定200部 昭和52年 緑の笛豆本の会刊 竹久夢二 彩色木版画3枚入。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。■■黄海々戦ニ於ケル松島艦内ノ状況 木村浩吉 明治発禁本 日清戦争■■。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 古文書 書状。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。貫名菘翁名品集成 全九卷 平成十二年 長坂慶子 発行 サイズ約36x23cm 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。順徳天皇『八雲御抄』(全6巻7冊揃)江戸時代和本 歌論書 和歌論。撮影後、展示のために再表装をしております。当方の先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 書状 古文書 歴史的逸品。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【洛座】古道大意 上巻下巻 平田篤胤 文政七年 < 和本 ◆13-15。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 長時 古文書。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。完品 大木篤夫著 恩地孝四郎装幀『危険信号』昭和5年アルス刊 函付初版本 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。剤・丸・散・薬!/[坪井先生方凾・15丁・手写本]/薬草/丸薬/觧祇凝剤/二味毒丸。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。f24050704〇標記 十八史略 全7冊 沿革図銅版画10枚入 明治新刻 五車楼梓 状態及び摺良 明治18年〇和本古書古文書。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。東条義門『玉緒繰分』(全5冊揃)嘉永4年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 本居春庭・藤井高尚・太田全斎らに師事した国学者 日本語文法書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。俳諧用捨箱。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。太田錦城『梧窓漫筆』(全6冊揃)天保11年 和泉屋金右衛門刊 江戸時代和本 大田錦城。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。北條時宗 小絵馬関連書2冊セット『小絵馬図集』(昭和14年 旅の趣味会刊 限定200部)+『小絵馬』(昭和17年 日本百貨店通信社刊)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。韻偶大成 覆製版 全3冊 上、下巻・姓氏録 複製版(原本大正8年)定価18000円 上村才六編輯 1987年 B27ny21。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【真作】江戸後期 和本木版多色刷 「柳川画帖」 柳川重信画 絵手本 刊 尾張 東壁堂 葛飾北斎の門人 美品 y0090。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。明治25年 諸流秘伝 生花独稽古 華道 生花 冊子 本 和本 古書 全4巻中1冊欠如 ②E。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。古文書 書簡 相島虚吼 渋川玄耳 宛て 俳人 政治家 茨城県 出身 相島勘次郎 東京第一師団 渋川柳次郎 歴史資料(レターパックライト発送)。母は後水尾天皇皇女女二宮。古版 藻塩草。実母は近衛家女房(瑤林院)。f24052516〇明治布告布達 東京開成学校東京医学校を合併し東京大学と改称 文部省 岩手県布令書 明治10年〇和本古書古文書。幼名は多治丸。写本 講師雲華院 桂立演説六席 天保6年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 NR。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 富家 弓馬武略 古文書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。c◆6* 江戸期 和本 書傅輯録纂註 書傳集録纂註 巻一~巻六 5冊 文化11年 書傳 書伝 唐本 中国 古書 古文書 / K40上。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。長谷川伸旧蔵書 大倉桃郎『平和の日まで』大正4年 佐藤出版部刊(初版本)大正時代文学書 大正文学。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。☆E0147和本明治20~22年養蚕「蚕務問答」巻1~3の3冊揃い/佐々木長淳/絵入古書/活版/山内為寿旧蔵本。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。扶桑名所図会 初・二篇 狂歌。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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