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【数々のアワードを受賞】 柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B 和書

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メーカー 6b6fdff4aab3 発売日 2025-04-30 23:45 定価 25000円
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【数々のアワードを受賞】 柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B 和書

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_画像1 柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_画像2 柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款 閉じる

「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_断層画像写真 閉じる

断層画像写真

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_女三の宮の降嫁、復元模型 閉じる

女三の宮の降嫁、復元模型

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型 閉じる

左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻) 閉じる

左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻)

柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-87B_左が玉鬘の姫君 閉じる

左が玉鬘の姫君

令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。BB-4037 ■送料無料■ 江戸時代音楽通解 古曲保存会 音楽 伝統音楽 古曲 楽曲 本 古本 古書 和本 挿絵 大正10年 288P 印刷物/くKAら。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。井上勝五郎編 設楽勝美銅刻『改正道中記 全』明治22年刊 明治時代和本 銅版刷 古地図 街道図。


自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 寛文十三 犬甘 馬百 古文書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古文書 長次。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。信州高島藩分限帳(諏訪) 表題は御家中分限簿。現在の今上天皇と系譜がつながっている。八雲龍守他校訂 亀岡甚三郎校正『校正七部集』(全2冊揃)嘉永4年 東昌軒蔵版 江戸時代和本 松尾芭蕉 俳諧書 俳書 俳句 発句集。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。写本 微毒要方 漢方学 薬学薬理学 東洋医学 江戸時代 戦前江戸期明治大正古書和書古本 NM。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。藤村庸軒述 河東散人鷯巣記『茶話指月集』(全2冊揃)元禄14年 今井重左衛門梓行 江戸時代和本 千利休ら茶の湯・茶道の逸話集 茶書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。天保二年 高反別書上帳 他色々まとめて  (^00XE28B。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書 古絵図。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書  書状。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。林羅山『癸未紀行』正保2年 風月宗知刊 江戸時代和本 漢文紀行文集 奥野彦六旧蔵書(印記「奥野万冊本願之蔵書」)。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。★限定600部 帙付き 大型本 『 吉田松陰遺墨帖 ●解説付き 』 山口県教育解/編纂 大和書房。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津  古文書 書状。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。菊池容斎画譜 松本楓湖縮図 錦栄堂 2冊 明治24年 大原孫兵衛。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。旗本領川島村(土睦村)古文書●明治20年 仏国人波阿蘇印度意見書 32丁 ゼ、ボアソナード著 千葉県長柄郡川島村 現在の睦沢町 231010。また、各巻ごとの書かれた年については不明。和本「戯場訓蒙図彙」全八巻 合本 合一冊 式亭三馬 勝川春英 歌川豊国 享和三年 歌舞伎和書 古書  y2448。従って、応永五年とは、書き始めの年である。宮崎成身『六藝名義觧』文政5年序 青山堂刊『周礼』六芸解説書 中国周代教養 江戸時代和本 絵入本 六芸名義解。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』(全20巻20冊揃)明治16年 宮城県蔵版 明治時代和本 江戸時代前期の仙台藩地誌。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。長谷川伸旧蔵書 高津泰(高津川)『終北録 一名戌唐太日記』安政4年 高橋氏友于亭蔵板 漢文集 樺太紀行集 江戸時代和本 戍唐太日記。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。竹田宮恒久王妃昌子内親王 歌集『松乃しらべ』(全2冊揃)昭和18年竹田宮蔵版 彩色木版画6枚入 明治天皇第六皇女子。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。[W2556] 希少! 送料無料「團團珍聞 全48巻揃」/ ケース付 監修:北根豊 1981~85年発行 本邦書籍 団団珍聞 復刻 風刺雑誌 マルチン 現状品。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。源眞修(字:天爵)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 二行書 掛け軸。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。明治時代の小説。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書 上。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。栗原信充『刀剣図考』(全2冊揃=初集+2集)天保14年 英屋文蔵刊 江戸時代和本 日本刀 太刀 刀剣。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。★H503和本江戸嘉永4年(1851)写本「越俎録」全1冊/清水存軒/古書古文書/手書き/尊皇攘夷/黒船来航。


 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。R-074865 斉白石 印譜(中国、唐本、古書、古本、書道具、和本)(R-074865)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津 古文書 書状。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。坪内逍遥『熱海ペーヂェント』大正14年 博文館刊 初版本 坪内逍遥直筆献呈署名入(「呈 駒田君 著者」)三重県・駒田家旧蔵書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。古刀銘盡大全 全九巻  仰木弘邦 寛政四年正月刋。

 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。近江源氏先陣館 近松半二 歌舞伎浄瑠璃 佐々木盛綱 江戸時代 検)盛綱陣屋 古書和書古本和本古文書写本 NT。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。十返舎一九肉筆紙片 【吉原】。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。『黒谷上人伝絵詞 黒谷語燈録』(全十冊揃)華頂山蔵板 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗 法然上人 滋賀県栗東市郷土史料。四年の歳月が経過。『芥子園令毛花果譜』(全3冊揃)大正8年風俗絵巻図画刊行会(藝苑叢書) 彩色木版画譜 花鳥画 中国美術 中国絵画 中国古画 青在堂令毛花果。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。☆E0274明治18年(1885)官員録役人名鑑「文部省職員録」1冊/古書。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  弓法秘  古文書。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。『句双紙』(上下巻揃・合本全1冊)友松堂板 江戸時代和本 句雙紙。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 繁藤之弓作左法 古文書。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。古文書 戌年御年貢米割付之事 蒲原郡 西萱場村(新潟西蒲月潟村内) 天保九年 脇田 内藤 久永惣右衛門 村.庄屋 組頭 惣百姓.193㎝。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘政準 具足鏡 古文書。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。Q4-W5/27 特選神名牒 思文閣 内務省蔵版。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。『新板増補 身延鑑』(全3冊揃)宝暦12年 身延山蔵版 江戸時代和本 日蓮宗重要資料 仏教書 仏書。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。稀少★日蓮聖人奉賛会発行 日蓮聖人全影 定価25万円 限定1000部 (管理90319674)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。柏木亀太郎著 石川鴻斎序『衛生嘉言 完』明治21年刊 明治時代和本(和装活字本)衛生学書 東洋医学 東洋思想 医学書 医書 衛生・養心・養老。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。(宋)鮑彪 (元)呉師道重 (明)張文カン校輯『戦国策』(全10巻15冊揃)菱屋孫兵衛刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国古典籍。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。八文舎自笑他『役者智恵競 上巻』嘉永5年刊 江戸時代和本 役者評判記 歌舞伎役者。》

「額縁入自筆原本」



(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。吉井勇著 竹久夢二装画『東京紅燈集』大正5年 新潮社刊(再版)。)

「自筆原本」

自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。遠藤通(遠藤鶴洲)『救荒便覧前集』天保7年序 白鶴義斎蔵板 江戸時代和本 藤浪剛一および北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。

自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。宗雪聞書 全 和書 文政 利休 茶道 古書 古文書 歴史書 秘伝。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古絵図 古文書。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。真作「日本山海名物図会」全5冊揃 二巻欠け 4冊 宝暦4年 捕鯨図 和本 古書 古文書  y2445。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見御供奉御名前帳と雪隠紙 藩主井伊直弼の巡見④ 下野国安蘇郡出流原村 現在の佐野市 230909。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。長谷川伸旧蔵書『兵庫史談』(全74冊揃 合本一冊)大正15-昭和7年 神戸史談会刊。》

かやうに、心かけきこ(聞)えん人は、まして、心みたれなんかし。真宗礼讃偈 明治25年 仏教 浄土真宗 親鸞 戦前明治大正古書和書古本  NA。
女は、かう、晴るけ所なくなよひたるを、人も、あなつらはしきにや。松平庄右衛門升信書簡  森川内藏進・依田又八郎宛。
さるましきに、ふと目とまり、心強からぬ過ちは、し出つるなりけり」と、おほす。【希少/除籍本】日本医籍録 大正14年発行 土屋義衛/本田六介 医師/医者/名簿/リスト/日本/朝鮮/台湾/満州【ta02g】。
「右のおとゝの北の方の、とり立てたる後見もなく、幼くより、ものはかなき世に、
さすらふるやうにて、生ひ出て給ひけれと、かとかとしく、勞ありて、
我も、大かたには親めきしかと、にくき心のそはぬにしもあらさりしを。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 天文九月吉日 古文書。
なたらかに、つれなくもてなして過くし、このおとゝの、
さるむしん(無心)の女房に心あ(合)は・・・・・《せて、入(いり)き(來)たりけん》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。『江戸風俗浮世絵大鑑 第二集』(手摺浮世絵木版画全11枚揃)大正6年 風俗絵巻図画刊行会刊 葛飾北斎 奥村政信 鳥居清満 懐月堂安慶ら。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。蘇生堂主人『喚子鳥 巻之下』宝永7年 塩屋喜助他刊 江戸時代和本 絵入本 博物学 鳥類図譜 鳥類事典 鳥類学。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》

《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》

《柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)とに重ねて合わせて悩む》

《柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く》

《殿(源氏の君)は、男女の仲というものがすべて心もとなく思われる。歴史資料/加賀藩史料/「菅秘録」/前田家由来併武芸之女召抱之事他23項目/寛政12年筆写/9巻2冊。
(源氏の君)「あの女御(明石女御・今上天皇の皇后)のあまりにやさしく
あどけなくいらっしゃるのは、・・・・もしこの宮(女三の宮・源氏の君の正室)の場合の
ように思いをお寄せ申す男がいたなら、これにもまして心を狂わせてしまうことになりかねまい。上州草津温泉之図。
女というものは、かように内気でなよなよしているのを、男のほうでも甘く見るためであろうか。支那墨蹟大成 第五〜第12巻。
それは、あってはならぬことながらもふと目をつけたりすると、
女のほうでも気強く拒まないところから過(あやま)ちも起るというものだ」
と殿(源氏の君)は、お思いになる。大森宗龍『置土産浮世之茶話』(全2冊揃)明治26/41年 東陽堂刊 各冊元袋付 明治時代和本(和装活字本)茶道 茶の湯。
(源氏の君)「右大臣の北の方(玉鬘の姫君)は、とりたててこれといった後見もなく、
幼いころからなんとも頼りなく身の上も定まらぬ有様でお育ちになられた。天狗党 下諏訪戦争 戦況報告書簡 元治元年 1通 絵図共 計2点。
けれども、北の方(玉鬘の姫君)は、才気があり思慮も行き届いていて、この自分としても
表向きには親らしく世話をしてやった。江戸時代中期 古書 和書 新刀銘盡(あらみめいずくし)諸国新刃 目利乃書 4冊揃 巻一 巻四 巻五 巻六 神田白龍子 著 TYF506。
けしからぬ好色(すき)心も起らぬわけではなかったのを、穏やかにそれと気づかぬふうに
受け流して、またこの右大臣が、ああした無分別な女房としめし合せて・・・・・《忍んで
きたそのときにも、自分は寄せつけずにいたということをはっきりと世間にも認めさせた。完品 喜多川歌麿『歌麿版画集芳』昭和49年 高見澤研究所刊(手摺浮世絵木版画全24枚揃)美人画集 錦絵 遊郭 花魁 遊女。》

備考1・柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)と重ねて合わせて、恋ゆえに避難することができないと悟る。近思録示蒙句解10冊中1冊欠 元禄14年序中川弥兵衛刊 江戸時代和本 朱熹・呂祖謙編纂「近思録」註解書 中国唐代思想 朱子学  儒学 NB。

備考2・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。木版画で作られた小物入 明治 懐入 薬入 小物入 生薬入 細工物 小野道風 (骨董品 浮世絵。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。◆古書・古文書・和書◆『春秋命歴序攷 全2巻』天保4年◆。

備考3:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。【希少】「征露従軍日誌」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。松浦羽洲編『すきかへし 三編』羽洲園蔵版 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌 連句 鋤かへし集 すきかえし 鋤かえし集 尾張名古屋の俳人。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。花の廓古郷の志るべ [新吉原芸妓細見](題簽・奥付欠)★Wa.70。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【扇屋】中央美院画稿書画/欽定三希堂法帖 馬 山水 書など 3冊セット 寸法 約27cm×約18.5cm 唐本 中国 古書。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。h∞∞ 和名類聚鈔 全20巻5冊揃い 発行年不明 古文書 古書 /C05。


《New Herbs Part Two(若菜・下)》

He began to wonder about other women, about his own daughter, for instance.
She was almost too gentle and good-natured, and a man who was
drawn to her would no doubt lose his head as completely as Kashiwagi had.
Aware of and feeling a certain easy contempt for evidence of irresolution,
a man sometimes sees possibilities in a lady who should be far above him.
He thought of Tamakazura.
She had grown up in straitened circumstances with no one
really capable of defending her interests.
She was quick and shrewd, however, and an adroit manipulator.
Genji had made the world think he was her father and had caused her problems
which a real father would not have.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。西澤笛畝『諸国絵馬集』(全2冊揃)大正7年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 小絵馬集 郷土玩具 民間信仰 西沢笛畝。


《若菜・下》

“例如明石女御,于温柔可,天真漫,
深恐将使柏木之的色情儿更加心。本沢竹雲著 大沼枕山序詩『虚堂遺稿』(全2冊揃)大正9年 格知学社刊(山形県東村山郡)漢詩集 天童市郷土史料 儒学者 浄土真宗僧侶。大概女子者,
如果胸中没有主意而度一味,便容易受男子侮。軍事資料★「日本選兵史」昭和18年11月 陸軍軍医 飯島茂 徴兵制 現行選兵諸法規 開発社。
一个男子看中一个不看中的女子,而女子并不拒,
那就会犯失了。油井牧山(牧山油井元雄)著 大槻磐渓跋『海嶽詩嚢』弘化2年序 裳華房梓(仙台)仙台藩の漢詩人の漢詩集 江戸時代和本 宮城県仙台市資料。”他又回想:
“髭黑右大臣的夫人玉鬘,并无特有力的保人,
从小流落在大起来,然而主意定,行周。山川正宣『山陵考略』大正9年 池田史談会刊 大正時代和本(和装活字本)山川正宣関連ポストカード5枚付 天皇陵論 皇室関連文献。我于,
大体上以父自居,但心中不无欲。松本棄次郎・多賀谷翠鸞編 松本宏洞著『宏洞百詩』昭和5年 松本一雄刊 漢詩集 群馬県佐波郡大正寺村生の南画家(現・伊勢崎市)郷土史料。却拿定主意,
不心,于平安无事。催眠術に於ける暗示法 中堂謙吉 開発者 明治37年  戦前 明治大正 古書和書古本 超能力 Z。髭黑串通了无知的侍女而入其室,


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・下の巻」原本の末尾(原本番号107-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。棟方志功他『藝生殿』(3冊)限定100部 昭和34年 古琴盧刊 板画集 柳井三千比呂(柳井道弘)山田正志 吉村淑甫。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 要鑑 六武、十二城、十三備、十四手、二十二安、十九地 古文書。冬姫は内大臣・通誠の養女。梅原三千『川村竹坡先生伝』大正14年刊(三重県津市)伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書(印記「天倪書堂」)津阪東陽・猪飼敬所に師事。
冬姫は通称。いてう本 偐紫田舎源氏 全4冊 柳亭種彦 三教書院 国貞木版口絵。正式な名は伊達貞子。本居宣長『古今集遠鏡』(全6冊揃)幕末期・永楽屋東四郎刊 江戸時代和本 「古今和歌集」全和歌註釈書。2つとも貞子の印。御親閲拝受記・現役将校学校配属令施行拾五周年記念/朝鮮教育会/昭和15年/御親閲拝受顛末謹記・御親閲拝受状況報告・御親閲拝受行動日誌。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。S1035【仏具】祝詞 のりと まとめ売り 古文書 古書 和書 神主 神社 仏教 寺院 和尚。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。宮地直一序 大場磐雄編『官幣大社 香取神宮宝物図鑑』昭和15年香取神宮刊(千葉県香取市)仏像・古鏡他45点 神仏習合 仏教美術 神道美術。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。『相場割代盛記』上田源蔵刊(濃州大垣本町)江戸時代和本 岐阜県大垣市郷土史料。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。好花堂野亭(山田意斎)著 柳斎重春/宮田南北画『大伴金道忠孝図会』(2冊)岡田茂兵衛刊 江戸時代和本 読本 浮世絵師挿絵多数入 絵入本。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。古書 非売品 本多忠籌侯傳 黒田源六 著 本多忠籌侯遺徳顕彰会 昭和17年 歴史 日本史。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。☆3402昭和2年(1927)長者番付「帝国金満家一覧鑑/多額納税者一覧鑑/戦後世界各国人民一日所得一覧表」3点/松本幸吉(松本幸盛堂)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。内藤万春註『標註 古今和歌集』(全2冊揃)明治17年内藤伝右衛門刊 明治時代和本。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘 古文書。筆者は近衛関白政家公。【地租改正】『落地発見願書』明治十九年八月 中頸城郡 上広田村/新潟県知事 篠崎五郎 検地帳 古文書 村方文書 和本【24-0412-29】。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。天野節次郎編『大連旅順金州名勝風景写真帖』大正2年 天野満書堂刊(大連市)大正時代の中国大陸写真集。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 古文書。左の写真は、桐壺の巻の奥付。戦前の印譜集 折本 両面 絹装 昭和五年~八年 (古文書 和本 梵字。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。【手紙×2点、領収書】人間国宝の釜師 長野垤志/浄土真宗本願寺派 徳山啓基 円光寺 中川祐次【24-0412-55】。上下2段の花押のうち、上の印は。習文録 上・下 二冊 皆川 淇園撰。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―87B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。(中国・隋)釈智顗撰『法界次第初門』(全3巻揃/合本1冊)江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書 漢籍唐本和刻本。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)

朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。久保田米僊・久保田米斎・久保田金僊画『日清戦闘画報』(3冊)明治27-28年大倉書店 日清戦争の戦闘風景を描いた彩色木版画譜 明治時代和本。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君



上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。韮山県 関係史料(古文書) 明治三年(1870)/廃藩置県 武州多摩郡 江川英武 御嶽村 青梅 飢饉 凶作【23-1214-1】。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。明治23年 官報号外 古書。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。☆E0151和本江戸天明2年(1782)秋田騒動(佐竹騒動)写本「兜頭巾」1冊/古書古文書/手書き。

漢詩文原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。三芝居 顔見世給金附 坂東彦三郎・市川小團次・中村勘三郎。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 馬書覚書 古文書。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。歌川国芳・松川半山画『絵本豊臣記』(全17冊揃)大正6年朝陽舎他刊 限定200部 大正時代和本 豊公着用唐冠冑今陳列於遊就館(靖国神社)。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。千代の地かため 初編 平安 華鳳編輯 寛政元年 書林 伊勢屋庄助★ko2.45。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。書道 宋 黄山谷 黄庭堅 松風閣詩巻他五種 米元章  書跡 4冊まとめて 書跡名品叢刊 二玄社刊 中国 カバー付き/A-1。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。金剛界念誦次第 真言宗 正徳4年 仏教 江戸時代 検)仏陀空海古書和書古文書古本浄土宗天台宗密教護摩江戸期  ND。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。出世双六。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。江戸和本 消息往来画抄(文久元年 酉年 初夏 1861年)十返舎一九著述 吉田屋文三郎 版。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。農家益 天・地[人欠]大蔵永常著 享和2年。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。英和對譯『日本昔噺』嵩山堂出版 著/ミツトフオルド 訳/上田貞次郎 青木嵩山堂 明治32年。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。★H460和本江戸期能楽大鼓方楽譜写本「葛流大鼓年数附」1冊/山本保成門人鈴木照層/葛野九郎兵衛尉定之/音楽/古書古文書/手書き。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。葛飾北樹『花鳥山水北樹画譜 全』天保年間頃 丁子屋平兵衛版 葛飾北斎に学んだ浮世絵師の彩色木版画譜 江戸時代和本。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。但州湯嶋道中独案内。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。魯西亞舩渡来一件 ロシア渡来一見 漂流。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。大内青巒『熱海独案内 全』明治18年 遊仙洞上梓 熱海温泉案内書 明治時代和本 折込地図「豆州熱海全図」。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。吉田暎二監修『三枚続逸品集 手摺木版浮世絵』(全20組60枚揃)山田書院刊 喜多川歌麿 鳥居清長 渓斎英泉 歌川国貞 歌川広重 歌川国芳ら。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。新撰 學 實用 萬國地圖(万国地図) 東京博文舘蔵版 大橋新太郎/発行 明治26年9月15日第3版発行 古書。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。佛光國師語録 仏光国師語録 円覚語・偈頌・年譜塔銘 和本 仏教 古文書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 書状 古文書。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。橘田春湖『春湖発句集』+『橘田春湖追悼集』明治25年跋刊 幕末の江戸三大家と称された俳人 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。伏敵篇・靖方溯源・竹崎季長蒙古襲来絵詞/明治25年/重野安繹・山田安栄・蒙古襲来関係史料集・近代の蒙古襲来研究に画期的な意義を持った。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。『松浦星洲印譜集 多自刻』江戸後期〜明治時代頃 落款篆刻 原鈐印譜100顆以上。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。竹久夢二木版画装『ビクター民謡曲』(2冊セット=第2,3編)昭和4年 ビクター出版社刊。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。俳書/写本/「三疋猿・俳諧二十五箇條・芭蕉翁句略解(仮題)」/筆写人、筆写年不明/ 合本1冊。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。b■* 複製本 北越雪譜 野島出版 昭和44年発行 著:鈴木牧之 監修:宮栄二・井上慶隆 /b1。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門  富家弓法之書  古文書。撮影後、展示のために再表装をしております。明治期 設計 デザイン本 難類彌家多 奈留美加多 検索:南流微鳩た 鳴海賀太 建築 彫刻 小田切春江 図版 唐草紋様 木版瓦版 型紙 藍染 絞染。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。源氏物語評釈 全12巻別巻2 14冊揃 玉上琢彌 セット。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。古文書 古書 「瀧の響」 木版 挿絵入り 茨城県 大子町 宮川 鶴鳴堂 袋田の滝 名所 和歌 明治34年 歴史資料 (レターパックライト発送)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。☆E0253和本江戸享保3年(1718)仏教音韻学「新増韻鏡易解大全/新増韻鏡字子大全」5冊揃い/盛典/古書古文書/木版摺り/梵字。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。彩画職人部類・上下・2冊/橘岷江/彩色木版・大正5年・非売品・和装本/鈴木春信風の美人画をかき彩画職人部類に吹きぼかしで彩色を工夫。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。松原寛著 船川未乾装丁『現代人の芸術』大正10年 民衆文化協会出版部刊 日本大学芸術学部初代芸術科長 日藝。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。【旧家蔵出】永谷山 円通寺 幕末〜明治期? 「南無阿弥陀佛」 書 肉筆 印あり 兵庫県 丹波国 古美術 御油村 資料 珍品。額縁は新品です。松浦厚『鸞洲羊年春季詩集』限定150部 昭和6年 東京築地活版製造所 漢詩集 平戸藩伝来の古活字(木活字)使用 肥前平戸藩主松浦詮の長男。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。蘭繁之他『夢二愛惜』限定200部 昭和52年 緑の笛豆本の会刊 竹久夢二 彩色木版画3枚入。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。佐渡丸遭難記念誌/貝瀬謹吾/非売品/昭和4年/明治37年野戰鐵道の一員として出征の玄海灘で敵艦の襲撃に会い萬死に一生を得て大連に上陸。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。親鸞聖人御一代記図絵 全5冊。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。■■黄海々戦ニ於ケル松島艦内ノ状況 木村浩吉 明治発禁本 日清戦争■■。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原  古文書  書状。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。貫名菘翁名品集成 全九卷 平成十二年 長坂慶子 発行 サイズ約36x23cm 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。順徳天皇『八雲御抄』(全6巻7冊揃)江戸時代和本 歌論書 和歌論。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。当方の先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  小笠原  書状  古文書  歴史的逸品。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【洛座】古道大意 上巻下巻 平田篤胤 文政七年 < 和本 ◆13-15。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。清水六兵衛編『清水六和回顧作品集』昭和30年 芸艸堂刊 5代目清水六兵衛陶芸作品集 木版画装。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。古書 菊地容齋翁画譜 明治23年 1890年 [菊池容齋][菊池容斎]。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。寿賀多百人一首小倉錦。母は後水尾天皇皇女女二宮。『古文書』権大僧都法印(芳川経雅)・高野山時代巻物3巻・和歌山藩時代上下巻物【幕末 巻物 古文書 古書 和書】約上巻6m下巻8m高野山巻9m。実母は近衛家女房(瑤林院)。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  犬甘  清水  古文書。幼名は多治丸。萬葉集拾穂抄 十冊(一~三、五~十、十四)北村季吟撰。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 長時 古文書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。完品 大木篤夫著 恩地孝四郎装幀『危険信号』昭和5年アルス刊 函付初版本 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。剤・丸・散・薬!/[坪井先生方凾・15丁・手写本]/薬草/丸薬/觧祇凝剤/二味毒丸。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。f24050704〇標記 十八史略 全7冊 沿革図銅版画10枚入 明治新刻 五車楼梓 状態及び摺良 明治18年〇和本古書古文書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。東条義門『玉緒繰分』(全5冊揃)嘉永4年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 本居春庭・藤井高尚・太田全斎らに師事した国学者 日本語文法書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。俳諧用捨箱。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。太田錦城『梧窓漫筆』(全6冊揃)天保11年 和泉屋金右衛門刊 江戸時代和本 大田錦城。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。北條時宗 小絵馬関連書2冊セット『小絵馬図集』(昭和14年 旅の趣味会刊 限定200部)+『小絵馬』(昭和17年 日本百貨店通信社刊)。


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