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競売 源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B 和書

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メーカー 5f06de0cf 発売日 2025-04-23 13:49 定価 25000円
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競売 源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B 和書

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_画像1 源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_画像2 源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_「我君不遊有深意」漢詩文の落款 閉じる

「我君不遊有深意」漢詩文の落款

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_断層画像写真 閉じる

断層画像写真

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_明石女御の出産(御帳台の中)復元模型 閉じる

明石女御の出産(御帳台の中)復元模型

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_左が源氏の君、右が明石の君 閉じる

左が源氏の君、右が明石の君

源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)上の巻・茶道具91B_明石の君・復元人形 閉じる

明石の君・復元人形

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。藤村庸軒述 河東散人鷯巣記『茶話指月集』(全2冊揃)元禄14年 今井重左衛門梓行 江戸時代和本 千利休ら茶の湯・茶道の逸話集 茶書。

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。天保二年 高反別書上帳 他色々まとめて  (^00XE28B。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書 古絵図。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書  書状。現在の今上天皇と系譜がつながっている。林羅山『癸未紀行』正保2年 風月宗知刊 江戸時代和本 漢文紀行文集 奥野彦六旧蔵書(印記「奥野万冊本願之蔵書」)。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。★限定600部 帙付き 大型本 『 吉田松陰遺墨帖 ●解説付き 』 山口県教育解/編纂 大和書房。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津  古文書 書状。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。菊池容斎画譜 松本楓湖縮図 錦栄堂 2冊 明治24年 大原孫兵衛。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。旗本領川島村(土睦村)古文書●明治20年 仏国人波阿蘇印度意見書 32丁 ゼ、ボアソナード著 千葉県長柄郡川島村 現在の睦沢町 231010。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。和本「戯場訓蒙図彙」全八巻 合本 合一冊 式亭三馬 勝川春英 歌川豊国 享和三年 歌舞伎和書 古書  y2448。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。宮崎成身『六藝名義觧』文政5年序 青山堂刊『周礼』六芸解説書 中国周代教養 江戸時代和本 絵入本 六芸名義解。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』(全20巻20冊揃)明治16年 宮城県蔵版 明治時代和本 江戸時代前期の仙台藩地誌。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。長谷川伸旧蔵書 高津泰(高津川)『終北録 一名戌唐太日記』安政4年 高橋氏友于亭蔵板 漢文集 樺太紀行集 江戸時代和本 戍唐太日記。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。竹田宮恒久王妃昌子内親王 歌集『松乃しらべ』(全2冊揃)昭和18年竹田宮蔵版 彩色木版画6枚入 明治天皇第六皇女子。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。[W2556] 希少! 送料無料「團團珍聞 全48巻揃」/ ケース付 監修:北根豊 1981~85年発行 本邦書籍 団団珍聞 復刻 風刺雑誌 マルチン 現状品。また、各巻ごとの書かれた年については不明。源眞修(字:天爵)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 二行書 掛け軸。従って、応永五年とは、書き始めの年である。明治時代の小説。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書 上。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。栗原信充『刀剣図考』(全2冊揃=初集+2集)天保14年 英屋文蔵刊 江戸時代和本 日本刀 太刀 刀剣。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。★H503和本江戸嘉永4年(1851)写本「越俎録」全1冊/清水存軒/古書古文書/手書き/尊皇攘夷/黒船来航。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。R-074865 斉白石 印譜(中国、唐本、古書、古本、書道具、和本)(R-074865)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津 古文書 書状。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。坪内逍遥『熱海ペーヂェント』大正14年 博文館刊 初版本 坪内逍遥直筆献呈署名入(「呈 駒田君 著者」)三重県・駒田家旧蔵書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。古刀銘盡大全 全九巻  仰木弘邦 寛政四年正月刋。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。近江源氏先陣館 近松半二 歌舞伎浄瑠璃 佐々木盛綱 江戸時代 検)盛綱陣屋 古書和書古本和本古文書写本 NT。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。十返舎一九肉筆紙片 【吉原】。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。『黒谷上人伝絵詞 黒谷語燈録』(全十冊揃)華頂山蔵板 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗 法然上人 滋賀県栗東市郷土史料。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。『芥子園令毛花果譜』(全3冊揃)大正8年風俗絵巻図画刊行会(藝苑叢書) 彩色木版画譜 花鳥画 中国美術 中国絵画 中国古画 青在堂令毛花果。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。☆E0274明治18年(1885)官員録役人名鑑「文部省職員録」1冊/古書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  弓法秘  古文書。


 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。『句双紙』(上下巻揃・合本全1冊)友松堂板 江戸時代和本 句雙紙。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 繁藤之弓作左法 古文書。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。古文書 戌年御年貢米割付之事 蒲原郡 西萱場村(新潟西蒲月潟村内) 天保九年 脇田 内藤 久永惣右衛門 村.庄屋 組頭 惣百姓.193㎝。二月に女三宮が六条院に降嫁した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘政準 具足鏡 古文書。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。Q4-W5/27 特選神名牒 思文閣 内務省蔵版。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。『新板増補 身延鑑』(全3冊揃)宝暦12年 身延山蔵版 江戸時代和本 日蓮宗重要資料 仏教書 仏書。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。稀少★日蓮聖人奉賛会発行 日蓮聖人全影 定価25万円 限定1000部 (管理90319674)。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。柏木亀太郎著 石川鴻斎序『衛生嘉言 完』明治21年刊 明治時代和本(和装活字本)衛生学書 東洋医学 東洋思想 医学書 医書 衛生・養心・養老。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。(宋)鮑彪 (元)呉師道重 (明)張文カン校輯『戦国策』(全10巻15冊揃)菱屋孫兵衛刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国古典籍。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。八文舎自笑他『役者智恵競 上巻』嘉永5年刊 江戸時代和本 役者評判記 歌舞伎役者。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。吉井勇著 竹久夢二装画『東京紅燈集』大正5年 新潮社刊(再版)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。遠藤通(遠藤鶴洲)『救荒便覧前集』天保7年序 白鶴義斎蔵板 江戸時代和本 藤浪剛一および北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。宗雪聞書 全 和書 文政 利休 茶道 古書 古文書 歴史書 秘伝。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古絵図 古文書。》

「額縁入自筆原本」



(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。真作「日本山海名物図会」全5冊揃 二巻欠け 4冊 宝暦4年 捕鯨図 和本 古書 古文書  y2445。)

「自筆原本」

自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見御供奉御名前帳と雪隠紙 藩主井伊直弼の巡見④ 下野国安蘇郡出流原村 現在の佐野市 230909。

自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。長谷川伸旧蔵書『兵庫史談』(全74冊揃 合本一冊)大正15-昭和7年 神戸史談会刊。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。真宗礼讃偈 明治25年 仏教 浄土真宗 親鸞 戦前明治大正古書和書古本  NA。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。松平庄右衛門升信書簡  森川内藏進・依田又八郎宛。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【希少/除籍本】日本医籍録 大正14年発行 土屋義衛/本田六介 医師/医者/名簿/リスト/日本/朝鮮/台湾/満州【ta02g】。


《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 天文九月吉日 古文書。》

《ありかたき心さしをつ(尽)くし》・・・・・て、おほやけ(朝廷)に
つか(仕)うまつり給(たまひ)けるほとに、ものゝたか(違)ひめありて、
そのむく(報)いにかくすゑ(末)はなきなりなと、人い(言)ふめりしを、
女子の方につけたれと、かくていと嗣なしと いふへきにはあらぬも、
そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
なと、涙おし拭ひたまひつゝ、この 夢のわたりに目とゝめたまふ。『江戸風俗浮世絵大鑑 第二集』(手摺浮世絵木版画全11枚揃)大正6年 風俗絵巻図画刊行会刊 葛飾北斎 奥村政信 鳥居清満 懐月堂安慶ら。
「あやしくひかひかしく、すすろに高き心さしありと人も咎め、
また 我なからも、さるましき振る舞ひを、仮にてもするかな、
と思ひしことは、此(こ)の君のむ(生)まれ給(たま)ひしと記に、
ちき(契)りふか(深)く思ひ志(し)りにしかと、
め(目)のまへ(前)にみ(見)えぬ・・・・《あなたのことは、おほつかなく》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。蘇生堂主人『喚子鳥 巻之下』宝永7年 塩屋喜助他刊 江戸時代和本 絵入本 博物学 鳥類図譜 鳥類事典 鳥類学。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。歴史資料/加賀藩史料/「菅秘録」/前田家由来併武芸之女召抱之事他23項目/寛政12年筆写/9巻2冊。


《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》

 《源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する》

《(源氏の君)「あの入道(明石入道・明石の君の父)は、ただ世渡りの心がまえだけが
十分ではなかったのでした。上州草津温泉之図。あの先祖の大臣は、まことに賢明でめったにはないくらい誠を尽し》
・・・・て朝廷に仕えていらっしゃったのだったが、その間に何かの行き違いがあって、
その報いで子孫がこうして衰えたのだなどと、世間では言っていたようだけれど、
娘の筋ではあるにせよ、こうしてまったく跡継ぎがないというわけでもないのは、
多年の勤行のご利益というものでしょう」
などと、殿(源氏の君)は、涙をたびたびおふきになっては、この夢語りの
書かれてあるところにお目をおとめになる。支那墨蹟大成 第五〜第12巻。
(源氏の君)「あの入道(明石入道・明石の君の父)は不思議と一癖ある人で、
むやみに高い望みをもっていると、人もとやかく言い、またこのわたし自身も、
一時のかりそめにしろ不都合なふるまいをするものよ、と反省したものだが、
それもこの君(皇太子と明石女御の若君)がお生れになったときに、前世の因縁が
深いからなのだと悟りはしたものの、この目に見たわけではない・・・・・《遠い昔のことは、
はっきり分らず不審に思い続けてきたのでした》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。大森宗龍『置土産浮世之茶話』(全2冊揃)明治26/41年 東陽堂刊 各冊元袋付 明治時代和本(和装活字本)茶道 茶の湯。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。天狗党 下諏訪戦争 戦況報告書簡 元治元年 1通 絵図共 計2点。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。江戸時代中期 古書 和書 新刀銘盡(あらみめいずくし)諸国新刃 目利乃書 4冊揃 巻一 巻四 巻五 巻六 神田白龍子 著 TYF506。


《New Herbs Part One(若菜・上)》
There was a minister in your family,
an extremely earnest and intelligent man, I have always heard.
People who speak of him in such high terms have always asked
what misstep may have been responsible for bringing his line to an end
―though of course we have you, and even though you are a lady
we cannot say that his line has come to a complete end.
No doubt your father's piety and devotion are being rewarded."


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。完品 喜多川歌麿『歌麿版画集芳』昭和49年 高見澤研究所刊(手摺浮世絵木版画全24枚揃)美人画集 錦絵 遊郭 花魁 遊女。


《若菜・上》
不迹或其他任何方面,都得特富有修。近思録示蒙句解10冊中1冊欠 元禄14年序中川弥兵衛刊 江戸時代和本 朱熹・呂祖謙編纂「近思録」註解書 中国唐代思想 朱子学  儒学 NB。
只是于世之道,用心未免不足耳。木版画で作られた小物入 明治 懐入 薬入 小物入 生薬入 細工物 小野道風 (骨董品 浮世絵。外人都:‘此人的先祖大臣十分明,
曾尽忠竭力朝廷效。◆古書・古文書・和書◆『春秋命歴序攷 全2巻』天保4年◆。只因其行事舛,得,故子不能繁昌。【希少】「征露従軍日誌」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。’
但就女子方面看来,目今尊已,决不是后无人的。松浦羽洲編『すきかへし 三編』羽洲園蔵版 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌 連句 鋤かへし集 すきかえし 鋤かえし集 尾張名古屋の俳人。
正是道人多年来勤修佛道的善。花の廓古郷の志るべ [新吉原芸妓細見](題簽・奥付欠)★Wa.70。
”他泪来信,看到了梦的地方,想道:“
人皆明石道人,他言行怪僻,妄自尊大。【扇屋】中央美院画稿書画/欽定三希堂法帖 馬 山水 書など 3冊セット 寸法 約27cm×約18.5cm 唐本 中国 古書。


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・上の巻」原本の末尾(原本番号108-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。h∞∞ 和名類聚鈔 全20巻5冊揃い 発行年不明 古文書 古書 /C05。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。西澤笛畝『諸国絵馬集』(全2冊揃)大正7年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 小絵馬集 郷土玩具 民間信仰 西沢笛畝。冬姫は内大臣・通誠の養女。本沢竹雲著 大沼枕山序詩『虚堂遺稿』(全2冊揃)大正9年 格知学社刊(山形県東村山郡)漢詩集 天童市郷土史料 儒学者 浄土真宗僧侶。
冬姫は通称。軍事資料★「日本選兵史」昭和18年11月 陸軍軍医 飯島茂 徴兵制 現行選兵諸法規 開発社。正式な名は伊達貞子。油井牧山(牧山油井元雄)著 大槻磐渓跋『海嶽詩嚢』弘化2年序 裳華房梓(仙台)仙台藩の漢詩人の漢詩集 江戸時代和本 宮城県仙台市資料。2つとも貞子の印。山川正宣『山陵考略』大正9年 池田史談会刊 大正時代和本(和装活字本)山川正宣関連ポストカード5枚付 天皇陵論 皇室関連文献。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。松本棄次郎・多賀谷翠鸞編 松本宏洞著『宏洞百詩』昭和5年 松本一雄刊 漢詩集 群馬県佐波郡大正寺村生の南画家(現・伊勢崎市)郷土史料。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。催眠術に於ける暗示法 中堂謙吉 開発者 明治37年  戦前 明治大正 古書和書古本 超能力 Z。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。棟方志功他『藝生殿』(3冊)限定100部 昭和34年 古琴盧刊 板画集 柳井三千比呂(柳井道弘)山田正志 吉村淑甫。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 要鑑 六武、十二城、十三備、十四手、二十二安、十九地 古文書。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。梅原三千『川村竹坡先生伝』大正14年刊(三重県津市)伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書(印記「天倪書堂」)津阪東陽・猪飼敬所に師事。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。いてう本 偐紫田舎源氏 全4冊 柳亭種彦 三教書院 国貞木版口絵。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。本居宣長『古今集遠鏡』(全6冊揃)幕末期・永楽屋東四郎刊 江戸時代和本 「古今和歌集」全和歌註釈書。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。御親閲拝受記・現役将校学校配属令施行拾五周年記念/朝鮮教育会/昭和15年/御親閲拝受顛末謹記・御親閲拝受状況報告・御親閲拝受行動日誌。筆者は近衛関白政家公。S1035【仏具】祝詞 のりと まとめ売り 古文書 古書 和書 神主 神社 仏教 寺院 和尚。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。宮地直一序 大場磐雄編『官幣大社 香取神宮宝物図鑑』昭和15年香取神宮刊(千葉県香取市)仏像・古鏡他45点 神仏習合 仏教美術 神道美術。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。『相場割代盛記』上田源蔵刊(濃州大垣本町)江戸時代和本 岐阜県大垣市郷土史料。左の写真は、桐壺の巻の奥付。好花堂野亭(山田意斎)著 柳斎重春/宮田南北画『大伴金道忠孝図会』(2冊)岡田茂兵衛刊 江戸時代和本 読本 浮世絵師挿絵多数入 絵入本。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。古書 非売品 本多忠籌侯傳 黒田源六 著 本多忠籌侯遺徳顕彰会 昭和17年 歴史 日本史。上下2段の花押のうち、上の印は。☆3402昭和2年(1927)長者番付「帝国金満家一覧鑑/多額納税者一覧鑑/戦後世界各国人民一日所得一覧表」3点/松本幸吉(松本幸盛堂)。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―91B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。内藤万春註『標註 古今和歌集』(全2冊揃)明治17年内藤伝右衛門刊 明治時代和本。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵

猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面



上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘 古文書。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【地租改正】『落地発見願書』明治十九年八月 中頸城郡 上広田村/新潟県知事 篠崎五郎 検地帳 古文書 村方文書 和本【24-0412-29】。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。天野節次郎編『大連旅順金州名勝風景写真帖』大正2年 天野満書堂刊(大連市)大正時代の中国大陸写真集。

漢詩文原本自筆上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 古文書。この漢詩は「白氏文集」の「離宮高」の漢詩に由来するものです。戦前の印譜集 折本 両面 絹装 昭和五年~八年 (古文書 和本 梵字。「若菜・上」の巻では、冷泉天皇が源氏の君の四十の賀にかこつけて、源氏の君の許に「行行」をしたいと思うが、これを聞いた源氏の君が辞退を申し出る。【手紙×2点、領収書】人間国宝の釜師 長野垤志/浄土真宗本願寺派 徳山啓基 円光寺 中川祐次【24-0412-55】。自体の理由は、天皇の行幸には莫大な支出が伴うため、庶民の財を費やすことになるので天皇の行幸をいさめたものである。習文録 上・下 二冊 皆川 淇園撰。原文の漢詩は、「白氏文集」の漢詩で、白氏は「天子(皇帝)の人(たみ)の財力を重惜するを美(ほ)むるなり」との名言を残している。(中国・隋)釈智顗撰『法界次第初門』(全3巻揃/合本1冊)江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書 漢籍唐本和刻本。源氏の君は、天皇が源氏の君を訪ねるために「世間の迷惑となるようなことをなさいませんように」という意味で語りかけたものです。久保田米僊・久保田米斎・久保田金僊画『日清戦闘画報』(3冊)明治27-28年大倉書店 日清戦争の戦闘風景を描いた彩色木版画譜 明治時代和本。紫式部は「若菜・上の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。韮山県 関係史料(古文書) 明治三年(1870)/廃藩置県 武州多摩郡 江川英武 御嶽村 青梅 飢饉 凶作【23-1214-1】。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。明治23年 官報号外 古書。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。☆E0151和本江戸天明2年(1782)秋田騒動(佐竹騒動)写本「兜頭巾」1冊/古書古文書/手書き。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。三芝居 顔見世給金附 坂東彦三郎・市川小團次・中村勘三郎。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 馬書覚書 古文書。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。歌川国芳・松川半山画『絵本豊臣記』(全17冊揃)大正6年朝陽舎他刊 限定200部 大正時代和本 豊公着用唐冠冑今陳列於遊就館(靖国神社)。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。千代の地かため 初編 平安 華鳳編輯 寛政元年 書林 伊勢屋庄助★ko2.45。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。書道 宋 黄山谷 黄庭堅 松風閣詩巻他五種 米元章  書跡 4冊まとめて 書跡名品叢刊 二玄社刊 中国 カバー付き/A-1。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。金剛界念誦次第 真言宗 正徳4年 仏教 江戸時代 検)仏陀空海古書和書古文書古本浄土宗天台宗密教護摩江戸期  ND。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。出世双六。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。江戸和本 消息往来画抄(文久元年 酉年 初夏 1861年)十返舎一九著述 吉田屋文三郎 版。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。農家益 天・地[人欠]大蔵永常著 享和2年。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。英和對譯『日本昔噺』嵩山堂出版 著/ミツトフオルド 訳/上田貞次郎 青木嵩山堂 明治32年。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。★H460和本江戸期能楽大鼓方楽譜写本「葛流大鼓年数附」1冊/山本保成門人鈴木照層/葛野九郎兵衛尉定之/音楽/古書古文書/手書き。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。葛飾北樹『花鳥山水北樹画譜 全』天保年間頃 丁子屋平兵衛版 葛飾北斎に学んだ浮世絵師の彩色木版画譜 江戸時代和本。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。但州湯嶋道中独案内。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。魯西亞舩渡来一件 ロシア渡来一見 漂流。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。大内青巒『熱海独案内 全』明治18年 遊仙洞上梓 熱海温泉案内書 明治時代和本 折込地図「豆州熱海全図」。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。吉田暎二監修『三枚続逸品集 手摺木版浮世絵』(全20組60枚揃)山田書院刊 喜多川歌麿 鳥居清長 渓斎英泉 歌川国貞 歌川広重 歌川国芳ら。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。新撰 學 實用 萬國地圖(万国地図) 東京博文舘蔵版 大橋新太郎/発行 明治26年9月15日第3版発行 古書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。佛光國師語録 仏光国師語録 円覚語・偈頌・年譜塔銘 和本 仏教 古文書。撮影後、展示のために再表装をしております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 書状 古文書。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。橘田春湖『春湖発句集』+『橘田春湖追悼集』明治25年跋刊 幕末の江戸三大家と称された俳人 明治時代和本 俳諧書 俳書 俳句。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。伏敵篇・靖方溯源・竹崎季長蒙古襲来絵詞/明治25年/重野安繹・山田安栄・蒙古襲来関係史料集・近代の蒙古襲来研究に画期的な意義を持った。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。『松浦星洲印譜集 多自刻』江戸後期〜明治時代頃 落款篆刻 原鈐印譜100顆以上。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。竹久夢二木版画装『ビクター民謡曲』(2冊セット=第2,3編)昭和4年 ビクター出版社刊。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。俳書/写本/「三疋猿・俳諧二十五箇條・芭蕉翁句略解(仮題)」/筆写人、筆写年不明/ 合本1冊。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。b■* 複製本 北越雪譜 野島出版 昭和44年発行 著:鈴木牧之 監修:宮栄二・井上慶隆 /b1。額縁は新品です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門  富家弓法之書  古文書。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。明治期 設計 デザイン本 難類彌家多 奈留美加多 検索:南流微鳩た 鳴海賀太 建築 彫刻 小田切春江 図版 唐草紋様 木版瓦版 型紙 藍染 絞染。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。源氏物語評釈 全12巻別巻2 14冊揃 玉上琢彌 セット。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。古文書 古書 「瀧の響」 木版 挿絵入り 茨城県 大子町 宮川 鶴鳴堂 袋田の滝 名所 和歌 明治34年 歴史資料 (レターパックライト発送)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。☆E0253和本江戸享保3年(1718)仏教音韻学「新増韻鏡易解大全/新増韻鏡字子大全」5冊揃い/盛典/古書古文書/木版摺り/梵字。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。彩画職人部類・上下・2冊/橘岷江/彩色木版・大正5年・非売品・和装本/鈴木春信風の美人画をかき彩画職人部類に吹きぼかしで彩色を工夫。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。松原寛著 船川未乾装丁『現代人の芸術』大正10年 民衆文化協会出版部刊 日本大学芸術学部初代芸術科長 日藝。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【旧家蔵出】永谷山 円通寺 幕末〜明治期? 「南無阿弥陀佛」 書 肉筆 印あり 兵庫県 丹波国 古美術 御油村 資料 珍品。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。松浦厚『鸞洲羊年春季詩集』限定150部 昭和6年 東京築地活版製造所 漢詩集 平戸藩伝来の古活字(木活字)使用 肥前平戸藩主松浦詮の長男。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。蘭繁之他『夢二愛惜』限定200部 昭和52年 緑の笛豆本の会刊 竹久夢二 彩色木版画3枚入。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。佐渡丸遭難記念誌/貝瀬謹吾/非売品/昭和4年/明治37年野戰鐵道の一員として出征の玄海灘で敵艦の襲撃に会い萬死に一生を得て大連に上陸。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。親鸞聖人御一代記図絵 全5冊。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。■■黄海々戦ニ於ケル松島艦内ノ状況 木村浩吉 明治発禁本 日清戦争■■。母は後水尾天皇皇女女二宮。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原  古文書  書状。実母は近衛家女房(瑤林院)。貫名菘翁名品集成 全九卷 平成十二年 長坂慶子 発行 サイズ約36x23cm 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。幼名は多治丸。順徳天皇『八雲御抄』(全6巻7冊揃)江戸時代和本 歌論書 和歌論。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。当方の先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  小笠原  書状  古文書  歴史的逸品。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【洛座】古道大意 上巻下巻 平田篤胤 文政七年 < 和本 ◆13-15。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。清水六兵衛編『清水六和回顧作品集』昭和30年 芸艸堂刊 5代目清水六兵衛陶芸作品集 木版画装。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。古書 菊地容齋翁画譜 明治23年 1890年 [菊池容齋][菊池容斎]。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。寿賀多百人一首小倉錦。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。『古文書』権大僧都法印(芳川経雅)・高野山時代巻物3巻・和歌山藩時代上下巻物【幕末 巻物 古文書 古書 和書】約上巻6m下巻8m高野山巻9m。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  犬甘  清水  古文書。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。萬葉集拾穂抄 十冊(一~三、五~十、十四)北村季吟撰。


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